【令和の駐妻サバイバル】悪意なき無意識のマウントの正体。地雷だらけのコミュニティで心を削られないために
海外生活。
響きは華やかですが、駐妻を疲弊させるのが、独特の「マウント」文化。
「そんなの聞き流せばいい」と言うのは簡単ですが、今の現場で飛び交う言葉は、かつてのマウントとは少し違います。
- 海外生活で、人から言われた何気ない一言をあとから引きずってしまった
- 悪意があるマウントを取られたわけではないけど、なぜか疲れる会話に出会ったことがある
- 最近も駐妻マウントがあるの?と気になっている
- 自分が無意識に誰かを傷つけていないか振り返りたい
かつてのドラマにありそうなドロドロの派閥争いとは違い、現代のマウントは「じわじわメンタルをやられる」ものが多いです。
はじめに
駐妻マウントというワードは聞いたことありますか。
駐妻の世界=マウントだらけというイメージを勝手に持っていました。
昼ドラやママ友のドロドロ人間関係が描かれたドラマのような(笑)

実際に飛び込んでみて気づいたのは、想像していたあらかさまなマウントはないのではないかということ。
むしろ自分では気づかずに過ごしていて後からあれマウントだったよね?と周りの友だちに言われてから、そうだったっけ?となることの方がほとんどでした。
誰かが意図的に人を傷つけようとしてマウントを取っている人はあまりいなくて、悪意はなく、無自覚で、無意識なものが多いように感じました。
誰でも加害者にも被害者にもなりうる
慣れない海外生活では、家で一人でいる時間が増える分、誰かに言われた些細な一言を、家に帰ってから何度も思い返してしまうことも珍しくありません。
「そんなことで?」と思われてしまいそうな違和感が、なぜか心に残り続けてしまうことが多いみたいです。
昔はあからさまに嫌なマウント駐妻がいた
ひと昔前の駐在員家族のコミュニティでは、今よりも人間関係の構造がはっきりしていたと言われています。
夫の役職や会社の規模、住まいのエリアなどが、良くも悪く見える情報として共有されていました。
それは、個人の性格や努力とは関係なく、環境によって自動的に決まる序列のようなものでした。
夫の役職が何かで婦人会での妻の立ち位置がで自然と決まる。それが暗黙のルールとして機能していた側面もあります。
「持っているもの」が可視化されていた時代
住居、車、華やかな生活。
生活水準の違いが誰の目にも明らかだったからこそ、良くも悪くも自分の立ち位置を把握しやすかったとも言えます。
つまり、昔の駐妻コミュニティは序列が存在していたというより、序列が隠されていなかった時代だったのかもしれません。
昔と違う?令和の駐妻コミュニティで起きていること
現代の駐妻コミュニティで起きているのは、誰かが明確に優位に立とうとするマウント行為というよりも、どこに地雷があるのかわからない会話が増えているという感覚の方が近い気がします。
悪意はない。
むしろ、心配や善意、情報共有のつもりで交わされた言葉が、受け取る側の状況や心の余裕によって、思いがけず刺さってしまう。
それが、令和の駐妻コミュニティで起きている摩擦の正体ではないでしょうか。
善意と自慢の境界線が曖昧になった
あからさまな自慢や上下関係は、今の時代では敬遠されがちです。
そのため会話は、
「よかったから勧めたい」
「心配だから聞いただけ」
「参考になればと思って」
といった、柔らかい言葉で包まれるようになりました。
ただ、この“やさしい言い回し”こそが、受け取り手によっては判断を難しくします。
- 本当に気遣いなのか
- 自分の基準を押し付けられているのか
- それとも、ただの価値観の違いなのか
言われた瞬間には聞き流していたことを家に帰ってから一人で考え込んでしまう。
「マイクロアグレッション」と感じてしまう理由
こうした小さな違和感は、近年「マイクロアグレッション」と呼ばれることもあります。
ただし重要なのは、多くの場合、言う側に攻撃の意図はないという点です。
むしろ、
- 自分の環境が基準になっている
- 相手の事情を深く想像する余裕がない
- 自分自身も不安定な状態にある
こうした条件が重なることで、
何気ない一言が“評価された”“憐れまれた”ように聞こえてしまうことがあります。
海外生活が「言葉を重くする」
駐在生活では、人との距離感が近くなりがちです。
選べる人間関係が少なく、日本にいた頃のように自然なフィルターが働きません。
その結果、
- 本来なら気に留めない一言を引きずってしまう
- 自分の発言が誰かを傷つけたのではと不安になる
こうした「一人反省会」が起こりやすくなります。
誰かが悪いというより、
環境そのものが、言葉を過剰に重くしてしまう構造があるのです。
なぜ「同じ日本人」なのに疲れてしまうのか
日本では無意識に「似た者同士」で集まっていた
駐在生活の中で、「同じ日本人のはずなのに、どうしてこんなに気を使うんだろう」と感じたことがある人は少なくないと思います。
それは、日本人同士だから相性が悪い、という話ではありません。
日本にいた頃、私たちは地元の友人、学校、職場などを通して、知らず知らずのうちに価値観や生活感覚が近い人たちと人間関係を築いていました。
すべてが同じでなくても、「大きくズレていない」人たちに囲まれていたことで、会話の前提で受け入れることができていたのです。
日本では、仕事や友人、趣味など、自分を定義する要素がいくつもありました
しかし、駐在生活ではそれらが一気に削ぎ落とされ、「アイデンティティ」が揺らぎやすい状態に置かれます。
自分の足場が不安定だからこそ、私たちは無意識に、見える数字(フォロワー数)や夫の会社名、生活水準といった「外側の情報」で自分を支えようとしてしまいます。
この揺らぐアイデンティティを守ろうとする防衛本能こそが、無自覚なマウントや地雷ワードを生み出す真の正体なのです。
無理して分かり合う必要はない
ここで多くの人が、「同じ日本人なのに、どうして分かり合えないんだろう」と自分を責めてしまいます。
でも実際には、わかり合えないのではなく、最初から前提条件が違っているだけなのかもしれません。
日本では問題にならなかった言葉が、海外という特殊な環境では、思いがけず引っかかってしまう。
それは、あなたの心が弱いからでも、相手が意地悪だからでもありません。
タイに海外赴任帯同したころにベテラン駐妻さんからアドバイスをもらいました。無理して合わない人に合わせる必要はないし自然と距離ができはず。
合う人だけが残っていくから大丈夫だよと言われました。
「同じ日本人なのに疲れる」と感じたときは、自分や誰かを責める必要はないです。
どうしても関係を切ることが出来なかったとしても、あと数年耐えれば終わると割り切ってみましょう。
実例① 夫・仕事まわり
今の駐妻コミュニティでは、かつての露骨な主従関係はほぼ姿を消しました。
少なくとも表面上は、役職や年次に関係なくフラットに接することが“大人のマナー”とされています。
けれど、それで上下関係がなくなったかというと、答えはNOです。
見えやすいヒエラルキーが消えただけで、より静かで、より洗練された格付けが始まっています。
その代表例が、夫の業種と企業名です。
会社名が出た瞬間、会話は「雑談」から「審査」に切り替わる
初対面の挨拶で会社名を伝えた、その一瞬。
相手は何も言わなくても、頭の中では自動的に情報処理を始めています。

その会社なら駐在手当は手厚そうだから、生活には余裕があるはず

ふーん、聞いたことない会社
会社名が「その家庭の経済力」や「守られ度合い」を測る記号として使われているという点です。
直接的な上下関係はなくても、見えない序列はこの時点で形成されています。

こういうことを避けるために、会社名や業種は濁しておいた方が無難です。
福利厚生の話題が、一番危ない
もっとも厄介なのが福利厚生の話です。
- 一時帰国は年に複数回出るのが普通
- 家族全員分の航空券が出て当然
- 海外旅行保険は歯科矯正までカバーされていて当たり前
こうした話題は、情報共有の顔をしています。
しかし実際には、自分たちの恵まれた環境を「標準」として提示する行為でもあります。
たとえば、こんな一言。

家賃のデポジット、会社が立て替えてくれないの?
でも一括で払えるくらい余裕はあるでしょ。

一時帰国費用って普通は年2回は出るよね?
1回だけなんだ。それ、寂しくない?
本当に心配していたり、事実を述べていることがほとんど。でも、知らず知らずのうちに誰かの心をざわつかせることもあるようです。
実例② 暮らし・生活レベル
車ひとつでざわつく空気
平日に自由に車を使えるかどうかで、駐妻間の空気は微妙に変わります。

こんな暑い中歩いてきたの!かわいそう。
言ってくれたら迎えに行ったのに~
「」「平日に自由に使える車、ないの?」。 心配を装って放たれるこの言葉は、言われた側にとっては「あなたの生活は、可哀想で不十分なもの」というレッテル貼りに聞こえます。 たとえ本人がバイタクを乗りこなして「渋滞知らずで最高!」と割り切っていても、外側から勝手に「我慢している人」の枠に入れられてしまう。自分の今の満足感を、他人の基準で上書きされる不快感です。

車あるんだ! 今度あそこのモール行くとき、乗せていってよ
一方で、車がある側も平和ではありません。 純粋な友人関係だったはずが、いつの間にか「足」として計算されている感覚。相手の「持っているもの」を当然のようにシェアさせようとする図々しさに、心がささくれ立ち、関係が歪んでいくことも少なくありません。

車あるかないかはどうしようもないこと!
すごいな、いいな~!と私は気にも留めていませんでしたが、人によっては受け取り方が違うんですね。
旅行トークも地雷あり
旅行の話題も、無意識の序列を生む場です。

どの航空会社で旅行に行ったの?…そうなんだ、我が家はLCC使わないんだよね
単なる好みの表明ではなく、「その選択肢を選ぶ人とは、住む世界が違う」という無意識の宣言として響きます。現地での体験にお金を使いたいという相手の価値観を、たった一言で「低コストな選択」として片付けてしまうトゲがあります。。
スーパーでの買い物で見える格差
日常の買い物でも、意外な形で圧力が生まれます。

普段の食材は〇〇(高級スーパー)一択だよね。現地のスーパーは農薬も管理もどうなっているか心配だし…
本人は情報のシェアやこだわりを語っているつもりかもしれません。
ローカルなスーパーや市場で買い物して上手にやりくりしている駐妻さんに向けて言ってるのを見て、愛想笑いしながらも嫌な気持ちになったことはあります。

その高級スーパーでさえも絶対の安心なんてあるのかな…?
ぶっちゃけてしまえば、その高級スーパーの野菜が絶対に安心だと言い切れる明確な根拠はどこにあるのか。
実例③ 住環境
「住まい」が無言の格付けになる
駐在生活で、もっとも残酷なのは自分の努力ではどうにもならない格差が、住まいという形で誰の目にも明らかになってしまうことです。

ああ、そのエリアに住んでるんだ! 日本人も住めるんだね〜、知らなかった!
高層階・サービスの差も見逃せない

サービスアパートの清掃サービスが充実していて助かる
「うちは高層階じゃないと落ち着かなくて」
「サービスアパートの清掃サービスが充実していて助かる」
たまたま会社が用意した部屋や契約条件なのに、それがそのままランクのように受け取られてしまうのが駐妻コミュニティの怖いところです。
実例④ 妻自身
「〇〇さんの奥さん」として扱われる毎日の中で、ふと「自分は何者なんだろう?」という不安に襲われることがあります。
そこには「今の自分を正当化したい」という切実な焦りが、マイクロアグレッションとなって現れます。
「日本では〇〇だった」という過去への執着

私はずっとバリキャリだったから、正直こういう退屈な生活って耐えられないんだよね……
今の「何者でもない自分」を直視できないときほど、過去のキャリアを盾にして周囲との間に壁を作ってしまいます。
この言葉の裏には「私は、あなたたちのような『ただの主婦』とは中身が違う」という必死なプライドが透けて見えます。
聞いた側もそれすごいねーと聞き流してはいるけれど、その場にいるのは今の生活を必死に受け入れようとしている仲間。
そこで「私はあなたたちとは違う」とアピールすることは、周りの人を否定することになり、自然と人が離れていってしまいます。
SNSのフォロワー数・インフルエンサー
これは友達から聞いた話なのですが、カフェでお茶をしていた時のこと。
隣の席から、日本人女性たちのこんな会話が聞こえてきました。

今日、フォロワーさんに声かけられちゃった。目立つのも考えものだよね〜
困ったような、それでいてどこか誇らしげな声。 それを聞いた瞬間、向かいに座る友人の顔が、一瞬だけ引きつっていたそうです。
それは、自らの努力で築き上げた自分を認めてほしいという切実な承認欲求とそれを聞かされる側が静かに衝突した瞬間だったのかな?

狭いコミュニティの中では、こうした一言が切り取られ、あの人こんなこと言ってたよーと噂の種になってしまうのも怖いですね
実例⑤ 子ども
子どもはいるの?いないの?
駐妻コミュニティでは、子どもの話が大きなウェイトを占めています。そのため、家族構成が違うだけで、お互いにどう接していいか分からなくなる瞬間があります。

お子さんは? …へえ、そうなんですね(会話終了)
……その後に続く、ふとした沈黙。 共通の話題が見つからないための戸惑いなのですが、言われた側は「自分はこの輪に入れない存在なのかな」という疎外感を感じてしまうことがあります。
これは日本でも同じかもしれませんね。

お子さんいないなら毎日何しているの?
育児に追われている側からすると、純粋な興味としての「自由な時間の使い道」への質問かもしれません。
でも、習い事やスキルアップ、現地での生活を楽しんでいても「生産性のない毎日を過ごしている」とジャッジされているような、重い響きに聞こえてしまうことがあります。
学校選び
わが子の将来を真剣に考えているからこそ、自分の選択を「最良のもの」と信じたい。その安心感が、時に他者への無意識な圧力に変わります。

せっかく海外で暮らしてるのに日本人学校にいれるなんてもったいない。インターナショナルスクールの学費は会社から補助が出ないの?
これらは多くの場合、純粋な驚きや相手が損をしていないかという「お節介」に近い親切心です。
しかし、家庭の事情や子どもの性格を熟慮して選んだ側からすれば、もやもやが残ります。

インターナショナルスクールに入れると日本語も英語も中途半端になるでしょ。
これも経験談や情報を共有したいという善意なのですが、受け取り手にとっては「あなたの選択はリスクがある」という不安を煽る言葉になり得ます。
無意識に相手の選択に「トゲ」を混ぜてしまう。誰かが悪いわけではないからこそ、この違和感はやり場がなく、心に溜まっていくのです。
おわりに
駐妻コミュニティで感じる微妙な圧力は、誰かの悪意ではないし、無意識に出てくる言葉です。
だからこそ、受け取る側も発する側も、少しだけ心の余裕を持つことが大切です。
- 「これは私の価値を下げるものではない」
- 「その人も、自分の不安を埋めたいだけかもしれない」
そう考えられると、じわじわとしたストレスから解放されます。 海外生活は、自分らしい日々を過ごしてこそ。
小さな気まずさも「駐妻あるある」として観察し、笑い飛ばせるくらいの視点を持てたら、きっともっと楽になれるはずです。
あなたの海外生活が、他人と比べる日々ではなく、自分らしい日々で満たされますように。

