【初心者向け】タイの歴史まとめ|5つの時代背景と今訪れるべき聖地・遺跡
タイの歴史は、北から南へと都を移しながら、独自の文化と「自由」への誇りを積み上げてきた道のりです。
それぞれの時代を象徴する場所とともにその歴史をまとめてみました。
タイってどんな国?
- 首都はバンコク。国民の9割以上が仏教徒
- 王様がいる国(立憲君主制)で、今の国王はラーマ10世
- 昔の国名は「シャム」。1939年に「タイ」になった
- 東南アジアで唯一、ヨーロッパの植民地にならなかった
| 時代 | いつ | いま行ける場所 |
|---|---|---|
| 黎明期 | 紀元前〜13世紀 | バーンチエン・チェンセーン |
| スコータイ王朝 | 13〜15世紀 | スコータイ歴史公園 |
| アユタヤ王朝 | 1351〜1767年 | アユタヤ歴史公園 |
| トンブリー王朝 | 1767〜1782年 | ワット・アルン |
| チャクリ王朝 | 1782年〜現在 | ワット・プラケオ・王宮 |
都は北から南へ、スコータイ → アユタヤ → トンブリー → バンコクと移っていきました。この流れをおさえておくと、各時代のつながりが分かりやすくなります。
0. 黎明期|タイ族の南下と文化の混ざり合い(紀元前〜13世紀)
【北部・チェンセーン、東北部・バーンチエン】

タイ族が中国南部から少しずつ南へ移り住み、先に住んでいた人たちの文化を取り入れていった時代です。
今の「タイ」という国ができるずっと前から、この土地には人が暮らしていました。
東北部のバーンチエン(ウドンターニー県)では、数千年前の土器や青銅器が見つかっています。赤い渦巻き模様の土器が有名で、1992年に世界遺産に登録されました。
今のタイ人の祖先にあたるタイ族は、もともと中国南部に住んでいた人たちです。少しずつ南へ移り住み、先に住んでいたモン族や、カンボジアのクメール王朝(アンコール・ワットを作った国)の文化や仏教を取り入れていきました。
メコン川沿いのチェンセーンは、タイ族が早くから住みついた北部の町のひとつです。のちにラーンナー王国の町として栄え、今も古い寺院の跡が残っています。
📍 今行ける場所:バーンチエン遺跡(ウドンターニー県)・チェンセーン(チェンライ県)
➡ 次の時代へ:13世紀になるとクメール王朝の力が弱まり、タイ族が自分たちの国を作りはじめます。
1. スコータイ王朝|幸福の夜明け(13〜15世紀)
【北部・スコータイ】

タイ族が自分たちの王国を作り、タイ文字など今のタイ文化のもとが生まれた時代です。
13世紀、タイ族はクメール王朝の支配からぬけ出し、スコータイ王朝を作りました。タイ族による最初の本格的な王国とされています。
「スコータイ」は「幸福の夜明け」という意味です。3代目のラームカムヘーン王の時代にタイ文字が作られたと伝えられていて、今のタイ文化のもとになりました。
王様が民の声を直接聞く「父と子」のような政治が行われたと言われ、今もタイ人にとって「心のふるさと」のような場所です。スコータイ様式の仏像は、ゆるやかな曲線のやさしい姿が特徴です。
同じころ、北部ではチェンマイを都にしたラーンナー王国も生まれています。
📍 今行ける場所:スコータイ歴史公園(スコータイ県)
➡ 次の時代へ:14世紀に南のアユタヤで新しい王朝が生まれ、だんだん力をつけていきます。スコータイは15世紀にアユタヤに組み込まれました。
2. アユタヤ王朝|世界を魅了した黄金の都(14〜18世紀)
【中部・アユタヤ】

外国との貿易で栄え、400年以上続いた大きな王朝です。
1351年、チャオプラヤ川の中流にアユタヤ王朝ができました。スコータイ王朝がまだあるころに始まり、やがてスコータイを取り込んで大きくなります。
アユタヤは川に囲まれた島のような町で、船で海とつながっていました。そのため東南アジア有数の貿易都市として栄え、中国やヨーロッパ、日本の商人が集まりました。
町には日本人町もあり、17世紀には山田長政がアユタヤの王に仕えて活躍しました。日本とのつながりがある時代なので、日本人には身近に感じられるはずです。
しかし1767年、ビルマ(今のミャンマー)の軍に攻められて都は焼かれ、400年以上続いた王朝は終わりました。木の根に包まれた仏像の頭で有名な「ワット・マハタート」など、壊された跡が今もそのまま残っています。
📍 今行ける場所:アユタヤ歴史公園(アユタヤ県)
➡ 次の時代へ:都を失ってバラバラになったタイを立て直したのが、次のタクシン王です。
3. トンブリー王朝|不屈の復興(1767〜1782年)
【バンコク・トンブリー地区】

アユタヤが滅んだあと、タクシン王が国をまとめ直した、15年だけの短い時代です。
アユタヤが落ちたあと、国はいくつもの勢力に分かれてしまいました。そこでビルマ軍を追い払い、国をまとめ直したのがタクシン王です。
タクシン王は、今のバンコクの対岸(チャオプラヤ川の西側)にあるトンブリーに都を置きました。この王朝はタクシン王1代かぎりの、15年だけの短い王朝です。
ワット・アルン(暁の寺)は、トンブリー王朝の王宮のそばにあった大切な寺院です。今バンコクのシンボルになっている大きな塔は、次のチャクリ王朝の時代に建てられました。
📍 今行ける場所:ワット・アルン(暁の寺/バンコク)
➡ 次の時代へ:1782年、タクシン王は王の座を追われ、将軍だったチャオプラヤー・チャクリが新しい王になります。
4. チャクリ王朝|独立を守り抜いた奇跡(1782年〜現在)
【バンコク・ラタナコーシン地区】

都をバンコクに移し、植民地にならずに今まで続いている王朝です。
新しい王ラーマ1世は、川の東側に都を移しました。これが今のバンコクの始まりで、チャクリ王朝は今も続いています(今の国王はラーマ10世)。
19世紀、まわりの国が次々とイギリスやフランスの植民地になる中、タイは東南アジアで唯一、植民地にならなかった国です。ラーマ4世やラーマ5世(チュラロンコーン大王)が外国とうまく付き合い、鉄道や学校を作って国の近代化を進めたことが大きな理由とされています。ただし、領土の一部は手放しています。
独立を守り抜いてきたこの誇りが、「微笑みの国」タイの源なのでしょうか。
1932年には、王様がすべてを決める政治から、憲法にもとづく政治(立憲君主制)に変わりました。国の名前も、1939年に「シャム」から「タイ」に変わっています。
ワット・プラケオ(エメラルド寺院)は王宮の中にある、タイでいちばん格式の高い寺院です。
📍 今行ける場所:ワット・プラケオ(エメラルド寺院)とグランドパレス(バンコク)
まとめ|歴史を知ると、タイの旅はもっと深くなる
タイの歴史は、常に「新天地」を求めて南へ動き、困難にぶつかるたびに新しい都で再起を図ってきた歴史です。
古い遺跡だけでなく、現在進行形で歴史を刻んでいるのがパタヤのサンクチュアリオブトゥルースです。
1981年から今も作り続けられている木造の建物で、タイの職人の技が詰まっています。日本語ガイドで彫刻の意味を知ると、感動が何倍にもなるはずです。
さらに深掘り!タイと隣国の「複雑な関係」とは?
華やかな歴史の裏側には、今もニュースで流れる隣国(ミャンマー、カンボジア、マレーシア)との数百年続く「因縁」も関係しています。
なぜ今も格闘技の起源や国境で揉めるのか?については、近日公開予定です。
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